きれいなお姉さんを目指すブログ

①背筋を伸ばす②前を向く③まっすぐ歩く

方向

最近リベラルというか政治についてよく考えてる。昔は右寄りだった、NTUYしていた。2chがまだそれなりに生きていたころ、10年以上前の話だけど。国の力が強くて正義がどこかにあって日本人という枠組みの中で肩を組んで名を名乗れる感じが大変心地よかった。自尊心を支えられるものって世の中どれだけあるだろう。この話前もした気がする。

自尊心が微粒子位だった私が右側に入れ込んだのは、多分自尊心がある=強くなれる=安らげるところを求めていたんだと思う。強い政治家強い国、日本には美と正義ととにかくよいものがあって自分も同じように肯定してもらえる、少なくともその感覚はあった。実際救われていたと思う、私を肯定するものは少なかった。今思い出せないくらいには何もなかった。言い訳だけど子供だったので「無条件に人間は尊重される」「人には生まれながらのよさ=認められる理由=人権がある」という日本語が理解できても全く呑み込めなかった。それなら過激なOKの方が受け取れる、もちろんそれ自体に意味はあったと今でも思う。日本人である意識に違和感はない。自分を否定して苦しむ度合も今でもそこまでじゃない、と思う。

でも今になって思えば、やっていたこと、考えていたこと、それから今客観的に問う持続していた方向、立場を見てみれば後悔と恥がまず浮かぶ。ヘイトスピーチ、馬鹿とののしる言葉、数限りない正義の証拠、論拠、その他。よく考えてみれば、ではなく今の私が思う限り、正義なんてものを語るのはどっちが好きかで争うよりバカなことだし頭の悪さで人をののしる言葉ほど頭の悪いものはないし言いにしろ悪いにしろ口汚く話すこと(怒ることではない)は本当に目に余るものだ、もちろん、今思うだけだけど。親の前で強い言葉を吐いたこと、弱い立場の人を卑怯だといったこと、昔やらかしたことは消えない。あの頃と価値観が違ったのかといえば、そうでもないのかもしれない。でも何が「大人」なのか、はわかるような気がする。トーンポリッシングという言葉を覚えた上で。

で、今どこにいるかといえばどこにもいない、と声を出して言いたい、という気持ちでいると今言いたかった。必要なのは見地、それもどちらかではなく真ん中という見地なのかも、今の私には、方向だけあればいい。私は政治活動の予定もないので責任をぶん投げて話していることは承知の上で、でも方向だけあればいいんじゃないのか。対案がない野党を能無しと馬鹿にするのはおかしい、でも対案を考えられない自分やそれなりの立場を批判する。弱い立場(わかってほしい)の人たちを保護すべきだ、と言いながらあまりにもあんまりな(わかってほしい)プロモーションを嘆く。やり方が悪いなら考えないといけないけど、政策だって簡単に出せやしないけど、でも少なくとも正義を名乗って理性を捨てる作業を自分に許したくはない、と思うんだけど。

さすがに戦争を反対する人が中国がミサイルを突き付けている事実も知らない馬鹿だとか暴力には暴力しかないってわからないなら殴ってあげようとかもう言わないけど、その反対側に立つ勇気もない。世の中を知って物を見て方向をたくさん増やして、自分の中で肯定できる、尊重すべきと信じられてそうできる物事を少しでも増やせたら、と思う。疑問でもいい。リベラルも愛国も方向性、大人でいることはそれでも等しく正しいと勝手に思う。

※一人暮らしして働いて自分のお金で身の回り衣食住整えて一人で物を考えるタイミングと場所を与えられてやっと自尊心につながるような肯定を得たけど、でもそれで肯定されなければ私がどうなっていたのかはわからない。得られたOKは親の援助をはじめ周りの人の顔の好みやタイミングやそういうもののせい、だから間違っている、と私が思う人を笑うことはできない、と思う。

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